マレーシア::ティンギ島 II

時期:1998年9月

前回の続きでティンギ島です。前回のエントリーでは時期が1999年になっていたのですが、よく考えたら1999年はニュージーランドに居たので、ティンギ島に行ったのは1998年だと思います。 っていうか、本当に行った島が本当にティンギ島だったのかいまいち自信がありません。ただ、テオマン島の近くのマイナー島なのは確かなので75%程の確率でティンギ島のはずです。テオマン島は結構有名な観光地で、かの名作「South Pacific」に出てきた島らしいのですが、88マンはもちろんその映画は知らないし見た事もありません。知らない事や憶えてない事づくしですが、ティンギ島には3泊程泊まったは確かです。そう、3泊程。

初日にチンコパットで一人で盛り上がった後は、普通のテンションに戻って、昼はアイスチョコレートを飲みながら読書をしたり夜はバンガローでオナニーしたりしてました。88マンが泊まった所は、桟橋から繋がってるデッキレストランがレセプションも兼ね備えていて、その裏側に2,30のバンガローが建っているという小規模な宿泊施設でした。レストランといってもデッキの上にデッカイからぶき屋根みたいのが引っ付いてるだけで、スコールがひどい時は営業中止です。ただ、窓や壁などの仕切りは無い為、レストランからの景色はとても綺麗でした。そのレストランでは中国系マレーシア人のチェンさん(確か)というおじいさんが働いていました。第二次世界大戦の時に日本軍に島が占領されていて、その時に日本語を覚えたらしく「オマエ、ニホンジンカ?」みたいな感じで話しかけてきました。マレー語を勉強したいとチェンさんに伝えたら、客も88マン一人だけでチェンさんも暇をもてあましていたらしく、「チェン先生の無料マレー語教室」が始まって結構みっちりと鍛えられました。

マレー語を勉強してばっかりなのも何なので、二日目には島の反対側に行ってみる事にしました。島全体が小高い山になっていて、島には整備された道などは無いので、ジャングルの中を突っ切っていくのが唯一の方法です。ジャングルは昼でも薄暗く、なんか獣が吼えたりしてるので、予想外に恐怖の「お散歩」になってしまいました。道しるべとして、木や石に赤い矢印が塗られているのですが、これが消えかかっていて、一度でも見失うとジャングルで迷子になってしまうという恐れから一つ一つを必死になって探しながら歩きました。1時間半程かけてやっと反対側についてみたら、そこには地獄の光景が広がっていました。なんだか潮の流れで珊瑚の残骸などが溜まっちゃうみたいで、しかも無風状態でもやが立ちこめていて、ちっこいハエみたいのが100万匹位ブーンっと飛んでいるという、5分以上滞在してたら気が狂っちゃう様な所でした。帰ろうとして、ジャングルの中に戻ったらまだ夕方前なのに、中は結構真っ暗になっていました。少しパニクってしまって、山の頂上まで半べそ掻きながら走って登りました。水が途中で切れたので少し脱水状態になったけど、どうにか元のパラダイス側に戻った時にはもう夜になっていました。

最終日もチェン先生と二人でマレー語を勉強していたのですが、迎えのボートが来る一時間前になってチェン先生がどっかに消えてしまって、結局そのまま別れを告げる事もできずに島を離れました。マレー人は別れ際になると消える習慣があるのもしれません。88マンは帰りのボートの中で絶対いつか此処に戻ってくると固く心に誓ったのですが、なんていう場所に泊まったのか綺麗さっぱり忘れてしまいました。そのうえ島の名前までかなり記憶が曖昧になっちゃたので、戻るに戻れないっぽいです。